副業名探偵Tくんシリーズ・第三弾。
小説『FBIー架空捜査局ー』の初回をお送りいたします。
- 副業名探偵Tくんシリーズ・第一弾『女王国の夜明け』をご覧になりたい方は、こちらからどうぞ。
- 副業名探偵Tくんシリーズ・第二弾『多腕人間方式をめぐる特許戦争について』をご覧になりたい方は、こちらからどうぞ。
※本作はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
来訪者
午後の始業と同時にはじまった社内会議は、15時過ぎに終了した。
中小企業は慢性的に人手不足である。ようやく自席に戻ることができた私には、この日のうちに処理しなければならない業務が山ほど残されていた。
さて、では手はじめに……
私が一つ目のタスクに手をつけようとした時だった。ワイシャツの胸ポケットで社内電話の端末が振動しはじめた。
私は少し憂鬱な気分で通話ボタンを押した。
電話をかけてきたのは受付のKさんだった。
「あの……、受付にお客様がいらっしゃっているのですが……」
いつも如才ない対応をするKさんらしからぬ様子に、私は身構えた。
いったい誰が来たというのだろう?
今日、来客の予定はなかったはずだが……。
私がその旨を伝えると、Kさんが困惑の色を帯びた声音でいった。
「FBIの方だそうです……」
「エフビーアイ⁉」
私は頓狂な声をあげてしまった。
隣席の後輩Sくんが、驚いた様子でこちらを向く。
私は、Sくんのほうに片手をあげて謝ってから、小声で通話を続けた。
「……FBIというのは、アメリカの?」
我ながら馬鹿な質問だと思ったのだが、どうやらこれは的を射ていたようだ。
「いえ、文部科学省……らしいです」
「文部科学省というと、日本の?」
今度こそ馬鹿な質問をしてから、私は、とにかく伺います、と宣言して席をたった。
受付に近づくと、カウンターからKさんが身を乗り出した。
「FBIのノマザキ様、2番会議室にお通ししました」
私はKさんに礼を述べてから、足早に2番会議室にむかった。
室内で待っていたのは、黒縁の丸眼鏡をかけた中肉中背の男だった。年齢は五十歳前後だろうか。髪は七三分け。濃紺のスーツの胸元でポケットチーフが純白の光を放っている。まるで昭和の記録映像に登場する紳士のような装いなのだが、それが妙に似合っていた。
男は、FBIのノマザキです、と名乗って名刺を差し出した。
『文部科学省 架空捜査局 捜査官 野間崎 佐都史』
「架空捜査局……ですか」
当惑する私に、野間崎は共感の情を示すような笑みを返した。
「ご存じないのも無理はありません。一応、文部科学省の内部部局という扱いではありますが、我々は行政機関の組織図にも載っていませんので」
「組織図に載っていない……ということは、架空捜査局というのは秘密機関のようなものですか?」
私が驚いて尋ねると、野間崎は慌てた様子で手を振った。
「いやいや、そんな大層なものではありません。じつのところ我々は常設の機関ではなく、必要とされる事案の発生と同時に設置される部局に過ぎません。さらに、人員も活動機会も少ない。そのため、庁内でも我々の存在を知る者はほとんどいません。要するに、我々は取るに足らない存在なので組織図に載っていない、というだけの事なのです」
私は野間崎の説明に対して、それは大変ですね、と自分でもよく分からない言葉で応じてから、ふたたび受け取った名刺に視線を向けた。
「ところで、FBIというのは……」
名刺に『FBI』に相当する記載が見当たらず、私は野間崎に尋ねた。
「『架空捜査局』の略称です。『Fictional Bureau of Investigation』の頭文字を取って『FBI』というわけです」
そう語る野間崎に、私は重ねて質問した。
「お名刺に『捜査官』とありますが、警察のようなお仕事をされているのですか?」
野間崎がふたたび手を振る。どうやら、それが物事を否定するときの彼の癖であるらしい。
「我々に警察官のような通常の事件や事故に関する捜査権限はありません。架空捜査局が所管しているのは、名探偵が絡む事案のみです」
野間崎によれば、名探偵が絡む事案の捜査を担当することから、局の発足時には、その名称を『名探偵捜査局』にしようという意見も出たらしい。
しかし、推理小説などで公権力(主に警察)よりも優秀な存在として描かれている『名探偵』という文言を公的機関の名称に用いることに物言いがついた。それで最終的に『架空捜査局』という名称に落ち着いた、とのことだった。
さらに野間崎がいうには、架空捜査局が文部科学省に設置された理由も、名探偵との関係を抜きには語れないらしい。
名探偵というものは、本来、推理小説などのフィクションに登場する架空の存在である。そして、そのようなフィクション(小説、映画、漫画など)には著作権が存在する。
では、著作権を所管している官庁は?
文化庁、つまり文部科学省の外局である。
であるならば、本来的に著作権と一体不可分の名探偵もまた、文部科学省が所管すべき、という理屈らしい。
「名探偵すなわち『架空の探偵』を所管するから、『架空の捜査局』と名付けられたわけですね。最初は不思議な名称だと思いましたが、ご説明いただいて、しっくりきました」
私は、そんな感想を述べた。
「まあ、『架空○○』という言葉は、架空取引とか、架空名義とか、良くない事物と関連づけられることが多いのですがね……」
野間崎は、そう自嘲気味に語ってから、思い出したようにスーツの内側に片手を入れた。そして、懐から手帳のようなものを取り出した。
「架空捜査局という名称ではありますが、架空の存在ではない証拠に、身分証は、このとおり」
私は野間崎の手元を覗き込んだ。
野間崎が手にする身分証は、見開きの片面に金属製のバッジが取り付けられていて、その全体構成はハリウッド映画などで目にするアメリカ連邦捜査局のIDケースとそっくりだった。
ただし、バッジに刻印されたシンボルは独特で、中央に配置された『日章』と『拡大鏡』を一対の『桜の葉花』と『パイプ』と『鍵』が取り囲んだそれは、和洋折衷建築のようなレトロな雰囲気を備えていた。
「これが架空捜査局のロゴなのですね。拡大鏡とパイプは名探偵の象徴、鍵は『推理の鍵』といった文言と関係があるのでしょうか?」
私の質問に野間崎は、おっしゃるとおりです、と感心した様子で応じてから、身分証を閉じた。
私は、野間崎が大事そうに身分証を懐にもどすのを見つめながら、つぶやいた。
「なるほど、名探偵ですか……」
私は、この時すでに野間崎の訪問理由に察しが付いていたのだった。
名探偵
私の旧友であるTくんは、とある事件に遭遇し、名探偵に憑依された。
残念ながら、憑依現象の真偽のほどは定かではない。
しかし実際に、これまでTくんは、邪馬台国の謎を解明したり(拙著『女王国の夜明け』)、海野十三の小説に関連した推理の依頼を受けたり(拙著『多腕人間方式をめぐる特許戦争について』)と、名探偵らしい活動を展開してきたのだった。
おそらく、架空捜査局の野間崎は、名探偵Tくんについて、なにか調べに来たのだろう。
はたして、私の推測は正しかったようだ。
「ところで……」
と、野間崎があらたまった口調になる。
「ご友人のTさんですが、最近のご様子はいかがですか?」
「最近、ですか? ここ数か月は連絡を取っていませんが……」
「ということは、例の『特許多腕人間方式』の一件を最後に、連絡がないということですね?」
「どうして、それを……」
そう口にしてから、わたしは、はたと気がついた。
「そうでした……『特許多腕人間方式』の件については、事の顛末を自分で公開していたのでした……」
半年ほど前のこと、Tくんと私は、海野十三の小説『特許多腕人間方式』に関連した事件に巻き込まれたのである(拙著『多腕人間方式をめぐる特許戦争について』)。
このとき、私は詐欺師に手もなく騙されてしまったのだが、Tくんの名推理のおかげで、詐欺の片棒をかつぐという最悪の事態は回避できたのだった。
そして私は、その騒動の一部始終を、自身が運営するブログに記していたのである。
「じつは、その事件について、お伝えしなければならない情報があるのです」
野間崎は打ち明け話でもするように、そう言ってから、前傾姿勢になり、
「事件に関して、Tさんは『多腕人間方式をめぐる特許戦争』なるものは存在しなかったと看破し、『多腕人間方式のような兵器』もまた存在しない、と結論したのでしたね」
私が首肯すると、野間崎も頷きを返して、
「Tさんは、わずかな手がかりから、そのような結論を導き出した。まさに名探偵の面目躍如、と言いたいところではありますが……、残念ながらそこに問題があったのです」
「問題、ですか?」
困惑する私に、野間崎はふたたび大きく頷いてから告げた。
「いわゆる『後期クイーン的問題』というやつですよ」
「それは……たしかに『問題』ですね……」
私は野間崎の言わんとするところを理解し、会議室の天井を見上げた。
((2)につづく)