女王国の夜明け(5)~邪馬台国・いと編~

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 小説『女王国の夜明け』第五部『邪馬台国・いと編』をお送りいたします。

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 邪馬台国比定地問題。この日本史最大の難問について、Tくんは意外なことをいう。 

 水行陸行の日数に謎なんてない!?
 推理の糸口は、伊都国の位置!?
 

 Tくんの推理はつづく!

推理とは論理的妄想なり

 Tくんは、『魏志倭人伝』に登場する『帯方郡』『狗邪韓国』『対馬国』『一大国』『末盧国』の候補地については通説を採用しているらしく、とくに言及しなかった。
 一方、『伊都国』に関する通説、すなわち『伊都国糸島説』には多くの問題があると語った。

東南陸行五百里にして、伊都国に到る。官を爾支といい、副を泄謨觚・柄渠觚という。千余戸あり。世王あるも、皆女王国に統属す。郡使の往来常に駐まる所なり。

石原道博編訳『新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝―中国正史日本伝(1)―』

 たとえば、末盧国と伊都国の位置関係である。
『魏志倭人伝』には、末盧国から『東南陸行五百里』にして伊都国に到達すると記されている。
 ところが、末盧国とされる唐津からみて、伊都国とされる糸島は東北に位置している。
 この矛盾は広く知られており、もちろんわたしも認識していた。

 しかし、『魏志倭人伝』と『魏略』で伊都国の戸数が異なっているという点については、正直なところ、わたしは全く意識していなかった。

 ひとつの国の戸数について、一方は『千余戸』と記し、他方は『万余戸』と記す。
 書き間違いを除いて、そんなことが起こり得るだろうか?

 わたしが、そのことを問うと、Tくんは、

ひとつの国の戸数と考えるから混乱するんだよ。シンプルに伊都国がふたつあったと考えればいいのさ」

 と、当然のことを伝えるような口調でいった。

「伊都国がふたつ!?」

「そんなに驚くことかな。『邪馬台国比定地問題』を一種の暗号ミステリーと捉えた場合、暗号文すなわち史料の記載は変えられない。となると、『魏志倭人伝』に書かれている千余戸の伊都国と、『魏略』に書かれている万余戸の伊都国が、別個に存在したと考えるほかないじゃないか」

「とはいえ、糸島の伊都国のほかに、もうひとつの伊都国が存在したというのは……」

 困惑するわたしに、Tくんは、

「信じられないか? 地政学的な観点から検討してみたら、もうひとつの伊都国の存在がおのずと見えてくると思うけど」

 と、試すような視線をむけてくる。しかし、わたしが返答に窮していることを察したのか、すぐに説明を再開した。

「まず伊都国が統治上の重要拠点であったことは知っているね?」

「もちろんだよ。『魏志倭人伝』には『一大率が常に伊都国で治めていた』と記されているね」

女王国より以北には、特に一大率を置き、諸国を検察せしむ。諸国これを畏憚す。常に伊都国に治す。国中において刺史の如きあり。王、使を遣わして京都・帯方郡・諸韓国に詣り、および郡の倭国に使するや、皆津に臨みて捜露し、文書・賜遺の物を伝送して女王に詣らしめ、差錯するを得ず。(下線引用者)

石原道博編訳『新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝―中国正史日本伝(1)―』

「そのとおり。一大率というのは、周辺諸国を検察する官吏。ようするに、治安維持の重責を担う役人だ。当然、一大率が常駐する伊都国は、統治の安定化を図るうえで重要な地域に存在したはずだ。たとえば、九州北部、とくに玄界灘沿岸部は、大陸との交易における倭の玄関口として非常に重要な地域だった。つまり、糸島の伊都国玄界灘沿岸部の統治拠点だったわけさ。では、玄界灘沿岸部のほかに、大陸と関係の深い重要地域はなかっただろうか?

 Tくんに問われて、わたしは、これまでの話の関連性をようやく理解した。

有明海沿岸部! さっきまで佐賀県南部の重要性を強調していたのは、そのためか」

「そういうこと。なにしろ、佐賀県の佐賀市諸富町には徐福の上陸伝説が残っているくらいだからね」

「たしか、徐福は秦の始皇帝の命をうけて不老不死の霊薬を探しに日本に渡ってきたのだったね」

「うん、伝説によれば、徐福は有明海に辿り着き、海にを浮かべて上陸地点を占ったらしい。そして、盃が流れ着いたのが筑後川下流域――いまの佐賀市諸富町――だった。それで徐福はそこに上陸し、その地を『浮盃ぶばい』と名付けた、といわれているんだよ」

「ということは、佐賀県南部は始皇帝の時代紀元前から大陸と関係があった?」

「それは断言できないけど、吉野ケ里遺跡からも明らかなように、少なくとも弥生時代の佐賀県、それも有明海沿岸部は、かなり発展していたはずだ」

「それで、有明海沿岸部を統治する拠点としてもうひとつの伊都国が存在したと考えたわけか」

「そうなんだ。というのも、玄界灘沿岸部と有明海沿岸部のそれぞれに統治の拠点を設けるというのは、非常に理にかなっているんだよ」

 そういって、Tくんは、スマートフォンに地図を表示させた。

「玄界灘沿岸部と有明海沿岸部は、東西にのびる脊振山地によって分断されているんだ。玄界灘から有明海を目指すには、唐津市から小城市へとつながる山道を行くか、博多方面から南下するしかない。もちろん海はつながっているけど、玄界灘から有明海に向かうとなると対馬海流に対して逆行することになる。だから当時の船ではそれも困難だったに違いないんだ」

「なるほど、これだと、たしかに拠点をふたつ設けるほうが統治しやすいかもな……」

 と、地図を見ながら感想を述べたところで、わたしは重大な事実に気がついた。

「おい……この『唐津市から小城市へとつながる山道』って、東南にのびていないか?」

「やはり気づいたか」

 Tくんは満足げに頷いてから、言葉をつないだ。

「俺は、この『山道』こそが、末盧国から『東南陸行』して伊都国に至るルートだと考えているんだ」

「たしかに、方向は合っているし、陸行する合理性も担保されているね」

「そうなんだ。繰り返しになるが、当時の技術レベルで玄界灘から有明海へ向かうことを考えた場合、対馬海流に逆らって船で行くよりも、陸を行く方が遥かに合理的なんだよ」

「それにしても、こんなにもあからさまに『東南陸行』できるルートが存在していたとは……。これに誰も気がつかなかったのか?」

「いや、多くの人が気づいていたはずさ。その証拠に、木佐敬久著『かくも明快な魏志倭人伝』や、中田力著『日本古代史を科学する』でも、このルートに言及されているんだ。でも、残念ながら主流派には受け入れられていない印象だね」

「やはり江戸時代から存在する通説の牙城を崩すのは難しいか……」

 と、わたしがいうと、Tくんは、

「落ちない城はないさ。まあ、これからに期待だね」

 と応じてから、話題をもどした。

「この『東南陸行』ルートは小城市に行きつくわけだけど、小城市に『牛津』という町名があるんだよ。で、この『牛津』なんだがね、現在の地図を見ると内陸部に位置しているけど、少なくとも平安時代までは入江だったという記録が残っているんだ。俺は、この『牛津』こそが、伊都国の『津』だったと考えているんだよ」

「『うし』というところが惜しいな。これが『いと』だったら完璧なのに」

「たしかに、そこは残念だ……。でも俺は、やはり伊都国は牛津周辺に存在したんじゃないかと思うんだ。まず第一の根拠は距離だ」

距離というと『東南陸行五百里』だね?」

「うん、俺はその『五百里』は約35kmに相当すると考えているんだ」

「となると、1里は――35kmを500で割ると――約70mか。随分と短いな」

「たしかに魏の時代の1里は約435mとされているから、かなり短距離ではあるね。ただし1里=約70mという結論は『魏志倭人伝』の記述から導くことができるんだ。たとえば『魏志倭人伝』には『対馬国』から『一大国』までの距離が『千余里』だと記されている。一方、『対馬国』が対馬であり、『一大国』が壱岐であることは、ほぼ確実視されている。ということは、対馬‐壱岐間の距離1000里に相当すると考えざるを得ない。そして対馬‐壱岐間の実際の距離約70km

「なるほど、1000里=約70km。それで1里=約70mになるわけだ」

「そういうこと。で、話をもどすと、牛津は『末盧国』の比定地である唐津から東南約35kmすなわち『五百里』の地点に位置しているんだよ」

距離以外にも根拠はあるの?」

「あとは神社牛津の近傍に牛尾神社という古社があるんだけどね、そこの御祭神が天之葺根命あめのふきねのみことなんだよ。『日本書紀』によれば、この天之葺根命須佐之男命の五世孫で、高天原を追われた須佐之男命に代わって草薙剣を天照大神に奉納したとされているんだ。ところで『魏志倭人伝』には、伊都国について『世々王あるも、皆女王国に統属す』と記されている。つまり、伊都国王は代々女王国に服属していたわけさ。この伊都国王と、草薙剣を天照大神に奉納した天之葺根命の境遇が酷似しているように感じるのは、俺だけだろうか?」

「須佐之男命とその子孫――すなわち、天之葺根命――が歴代伊都国王の象徴で、天照大神が女王の象徴。そして、草薙剣の奉納が前者から後者への権力の移譲を象徴している、ということか……」

「さらに俺は、草薙剣の奉納には武装解除の意味合いもあるんじゃないかと思っているんだ。まあ、これは妄想の域を出ないんだけど、女王卑弥呼の登場まで、倭国では男王たちが何年も相争っていたわけだからね。あと、妄想ついでに話しておくと、一説によれば天之葺根命天之冬衣神あめのふゆきぬのかみと同神らしい。というのも、『日本書紀』では天之葺根命が須佐之男命の五世孫とされているのに対して、『古事記』では天之冬衣神が須佐之男命の五世孫とされているからね。で、この天之冬衣の名義については、天上界の冬の着物とする説や、『』すなわち衣類の豊穣を賛美するものであるという説なんかがあるわけだが、いずれにしてもきぬを象徴する神名であることに変わりはないんだ」

 Tくんは、そこまで一気にしゃべってから、

ところで、というのは何からできている?

 と、唐突に質問してきた。

 わたしは、しばらく考えてから、ようやくTくんの言わんとするところを理解した。

いと……」

 脱力するわたしに、Tくんは、

「だから、この部分については妄想だと断りを入れたじゃないか」

 と、涼しい顔でいってから、またビールジョッキに手を伸ばした。

 第五部・完(第六部『邪馬台国・論理編』につづく)

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