女王国の夜明け(7)~邪馬台国・展開編~

小説

 小説『女王国の夜明け』第七部『邪馬台国・展開編』をお送りいたします。

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 女王国≠邪馬台国!?
 不弥国から女王国まで600里!?

 名探偵Tくんが展開する推理の数々。その果てに見出された『謎の水行陸行区間』の真相とは?

復習

 新宿の個室居酒屋にて、Tくんは新たにふたつの仮説を提示した。

 ひとつ目は『女王国と邪馬台国は異なる概念である』という仮説。
 ふたつ目は『不弥国から女王国までの距離は600里』という仮説である。

 ひとつ目の仮説については、じつのところ邪馬台国人吉説の初出記事『邪馬台国にいたるみち』において、すでに提示されている。記事の執筆者である中国語学者・工藤篁は、『魏志倭人伝』の下記の記述に注目したのである。

女王国より以北、その戸数・道里は得て略載すべきも、その余の旁国は遠絶にして得て詳かにすべからず。(下線引用者)

石原道博編訳『新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝―中国正史日本伝(1)―』

 つまり、『魏志倭人伝』には『女王国より北は、その戸数と距離をおおよそ記載できる』と明記されているのだ。

 では具体的に、『魏志倭人伝』において『その戸数と距離(道里)』が記載されている国は……
 対馬国一大国末盧国伊都国奴国不弥国
 以上、6か国。

 つづく投馬国邪馬台国への行程は『水行二十日』『水行十日陸行一月』というように『日数』で表記されており、『距離』は記載されていない

南、投馬国に至る水行二十日。

南、邪馬壱国に至る、女王の都する所、水行十日陸行一月。

石原道博編訳『新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝―中国正史日本伝(1)―』

 ところで、上記のように、不弥国から投馬国、および、投馬国から邪馬台国は、いずれもに向かう行程である。

 ということは、投馬国邪馬台国に存在しなければならない。

 さて、ここで再度『魏志倭人伝』の『女王国から北は、その戸数と距離をほぼ記載できる』という記載に注目してみる。

 もしもこの『女王国』邪馬台国を指しているのだとしたら、邪馬台国よりもに存在する投馬国についても不弥国からの『距離』が表記されていなければならない。しかし、実際の表記は『日数』なのである。

 つまり、『魏志倭人伝』の記載から、『女王国=邪馬台国』という等式は成立しないのだ。

 では、下記のような場合は、どうだろうか?

 女王国 = 投馬国 + 邪馬台国

 このように、女王国』『投馬国邪馬台国を含む連合体』であると仮定すれば、投馬国邪馬台国両方について『距離』の記載が存在しないことを矛盾なく説明できる

 1972年刊行の『朝日アジアレビュー』の記事『邪馬台国にいたるみち』において、工藤氏は、投馬国邪馬台国のことを、空間的思弁よりも時間的思弁に長ずる『倭人の文化圏』であり『女王国そのものである』と表している。

 わたしは、国会図書館で『邪馬台国にいたるみち』を読んだとき、上記の結論に至った工藤氏の洞察力と精緻な論理展開に感動を覚えたはずだった。しかしながら、どうやらわたしは、いまだに女王国=邪馬台国』という固定観念に縛られていたようだ。

 わたしは、以上の内容を反省とともに振り返ってから、Tくんに確認した。

「つまり『女王国と邪馬台国は異なる概念である』という仮説は、投馬国も女王国の一部だということを意味しているわけだね?」

 Tくんは「そのとおり」と応じてから、少し困ったような表情でいった。

「しかし『邪馬台国にいたるみちその記事』には本当に驚かされたよ。まさか半世紀以上も前に、投馬国が女王国の一部だという仮説に辿り着いていたとはね。しかも投馬国の故地まで先に言い当てられている……」

 Tくんの発言に、わたしは「えっ」と声を漏らした。というのも、Tくんが工藤氏と同様に邪馬台国熊本県人吉盆地に比定していることは認識していたが、Tくんと工藤氏の仮説において投馬国の比定地までもが共通していることは知らなかったからだ。

 ちなみに、工藤氏は投馬国熊本県玉名市に比定している。

「ということは、きみも、投馬国玉名に存在したと考えているのかい?」

「そうなんだ」

 とTくんは認めてから、つづけた。

「もっとも、投馬国を玉名に比定したのは工藤氏が最初ではない。かの新井白石も投馬国玉名説を唱えていた。それに、工藤氏と俺とでは、投馬国玉名に比定したロジックがまったく違う。『邪馬台国にいたるみち』には『玉名こそ、投馬国の故地に比定するのにふさわしき地である』としか書かれていないし、なにより、工藤氏は不弥国福岡県飯塚市に比定しているのだからね。不弥国以降の行程解釈が彼我で一致するはずがないんだ」

「では、きみはどういった論理で投馬国玉名説を導き出したの?」

「ここで登場するのが、第二の仮説だよ」

不弥国から女王国までの距離は600里、だね?」

「うん。これまでの説明で、魏志倭人伝における『1里』約70mである――すなわち『100里』約7kmに相当する――ということは理解してもらえたと思う。そして、これを前提とした場合、『600里』約42kmに相当する。では、地図を見てもらいたい。不弥国の比定地である浮盃から有明海を南下していくと、直線距離にして約40km熊本県玉名市――菊池川河口付近――に到達する。実際の移動は海岸線に沿ったものになるはずだから、浮盃から熊本県玉名市までの移動距離は40kmよりも多少長くなるはずだ」

「そうなると、約42kmというのは、まさにドンピシャというかんじだね」

 Tくんがふたたび「そのとおり」と首肯する。

「つまり、第一の仮説と第二の仮説を合わせて考慮すると、不弥国――浮盃――から600里――約42km――移動することで到達する熊本県玉名市に、女王国の一部である投馬国の故地を求めざるを得ないわけさ。さらに地名の観点からも『投馬』を『トゥマ』と読めば、『タマ』すなわち『玉名』に通ずるじゃないか」

「なるほど、投馬国玉名説はなかなか説得力があるね。ただし、『不弥国から女王国までの距離は600里』という第二の仮説が正しければ、という条件付きだけど……」

再計算

「では、もう一度、帯方郡から不弥国までの距離を計算してみようじゃないか」

 とTくんはいう。

 わたしは「何度計算しても答えは同じだろう」と主張したが、Tくんは譲らない。

 わたしは不承不承、帯方郡から不弥国までの各国間の距離を、再度、思い起こした。

  • 帯方郡~狗邪韓国:約7000里
  • 狗邪韓国~対馬国:約1000里
  • 対馬国~一大国:約1000里
  • 一大国~末盧国:約1000里
  • 末盧国~伊都国:500里
  • 伊都国~奴国:100里
  • 奴国~不弥国:100里

 では、上記距離の総和は?

 7000 + 1000 + 1000 + 1000 + 500 + 100 + 100 = 10700(里)

 これで間違いないはずだ。

 ところで、『魏志倭人伝』には『郡より女王国に至る万二千余里』すなわち『帯方郡から女王国までの距離は約12000里である』と記されている。したがって、不弥国から女王国の一部である投馬国までの距離は:

 12000 – 10700 = 1300(里)

 これも間違いないはずである。

 しかしTくんは、上記の計算には抜けがある、と指摘する。

「なにかを見落としている、ということかい?」

 というわたしの問いに、Tくんは『魏志倭人伝』を再読するよう勧めてくる。

 わたしはスマートフォンを取り出して、画面に『魏志倭人伝』の文面を表示させた。

『郡より倭に至るには……狗邪韓国に到る七千余里……始めて一海を度る千余里、対馬国に至る……居る所絶島、方四百余里ばかり……また南一海を渡る千余里……一大国に至る……方三百里ばかり……』

 私は「これか」とつぶやいた。

「どうやら気がついたようだね。『魏志倭人伝』における帯方郡から邪馬台国までの行程記事には、対馬国一大国大きさに関する記述が含まれているんだよ」

「なるほど、対馬国が約400里四方で、一大国が300里四方だという点も考慮しなければならないのか……」

「そういうこと。狗邪韓国から船出した魏使は、渡海1000里で対馬国に至る。そして、対馬国の一辺――400里――を通過して、さらに1000里の海原を超えて一大国に至る。その後、一大国の一辺――300里――を通過して、さらに渡海1000里で末盧国に至る。このように解釈する必要があるわけさ」

「ということは……」

 帯方郡から不弥国までの距離の総和は:

 7000 + 1000 + 400 + 1000 + 300 + 1000 + 500 + 100 + 100 = 11400(里)

 したがって、不弥国から女王国(投馬国)までの距離は:

 12000 – 11400 = 600(里)

「おわかりいただけただろうか」

 と問うTくんに対し、わたしは「心霊特番のナレーションかよ」と冗談めかして応じたのだが、内心では彼の論理展開に舌を巻いていた。

 とはいえ、彼の推理結果には疑問を感じる箇所もあった。わたしは

「どうやら、不弥国から投馬国までの距離は600里、と考えてよさそうだね」

 と一応の理解を示してから、Tくんに質した。

「でも、不弥国から投馬国までの距離が600里だとすると、『魏志倭人伝』の『南、投馬国に至る水行二十日』という箇所を、いったいどう解釈すればいいのだろうか?」

「難しく考えることはないじゃないか。その部分は、移動するのに20日かかります、と述べているだけだ」

「つまり、『魏志倭人伝』の記述を素直に受け入れればよい、ということだね? しかし、きみは『600里=約42km』と考えているわけだろ? それを20日かけて移動したとすると1日の平均移動距離はわずか2.1kmになってしまうぞ」

 わたしの疑問に対し、Tくんは「それの何が問題なんだ?」と首をかしげる。

「当時の人々がどのようなスピードで倭国内を移動したのかを示す史料は存在しない。だから、1日の移動距離が2.1kmだろうと、1歩だろうと、史料と矛盾はしないじゃないか」

「そういうことか」と、わたしはようやく理解した。

「きみはいま名探偵として暗号ミステリーに挑んでいるのだったね。だから推理結果が史料暗号と整合するかどうかという点が大事で、それが我々の常識と合致するか否かといったことは、さほど重要ではないわけだね」

 わたしがそう確認すると、Tくんは、

「まあ、現実の世界においては、推理小説で提示されるような意外性のある結論よりも、常識的な結論のほうが受けがよいのだろうけど」

 と残念そうにいう。

 たしかに『1日の平均移動距離がわずか2.1kmだった』という推理結果は、それが小説などに登場する名探偵によって提示されたものであるならば、その意外性も含めてそれなりに受け入れられそうだ。しかし、この推理結果が現実の世界で同様の評価を得られるようには思われなかった。

「虚構の世界と現実世界とでは、求められる推理の態様が異なるというわけか……。名探偵として在るというのは難儀だねぇ」

 わたしは現実を生きる名探偵に同情の意を表して、彼のために生ビールを追加注文した。

 第七部・完(第八部『邪馬台国・完結編』につづく)

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