前編につづき、『SFプロトタイピング』について、解説していきます。
本記事では、「なぜSFに頼るのか?」という点、すなわち、SFをビジネスに活用する意義について、わかりやすく説明しています。
なぜSFに頼るのか?
前編において「『未来』を試作するために、SF作品(小説、漫画、イラスト etc.)を創作する」と述べました。
一方、従来から未来予測は盛んに行われてきました。先のことは分からない。だからこそ人類は未来を知ろうと悪戦苦闘してきたのです。
数学に物理学。天才たちが我々に残してくれた英知は数多く存在します。
そんな中、なぜあえてSFに頼るのか?
それは、SFの発想力や想像力で「想定外」の未来像を描き出せるからです。
この「想定外」という部分がポイントです。
従来の未来予測法は、現在の科学技術や社会状況をベースに、実現可能性の高い未来像を積み上げることで、さらに先の未来像を構築するというものでした。現在から未来に向かって、階段を一段ずつ上っていくようなイメージです。
『SFプロトタイピング』のような「バックキャスティング的な方法」に対して、こちらは「フォアキャスティング的な方法」と呼ばれます。
しかしながら、「フォアキャスティング的な方法」を採用した場合、最終的に到達できる未来像は「想定内」のものになりがちです。なぜなら、実現可能性の高い未来像を積み上げるという行為は、極論すれば「想定」を積み重ねることに他ならないからです。
ところが、現実の世界は「想定外」に満ちあふれています。
たとえば、2019年前半の段階で、コロナ禍によって世界が現在のように変容してしまうことを予測しえた人は、いったい何人いたでしょうか?
残念ながら、「想定」を積み重ねる従来の未来予測法を用いて、「想定外」の未来像に到達することは非常に困難なのです。
一方、SFはどうでしょう?
疫病によって変容した世界の姿を描いたSF小説は、古くから存在します。
かの有名な、小松左京『復活の日』は、半世紀以上も前(1964年)に出版されています。また、高嶋哲夫『首都感染』の出版も、10年以上前(2010年)のことです。
もちろん『復活の日』も『首都感染』も予言書ではありません。いずれの作品においても、登場するウイルスの致死率は極めて高いものとされており、我々が直面しているコロナ・ウイルスのそれとは大きく異なっています。
それでも、これらの作品は、従来の未来予測法では到達困難な「疫病によって変容した世界の姿」を見事に描き出しています。
このようにSF的な発想力や想像力は、「想定外」の未来像を描き得る点において、非常に優れているのです。
まとめ(前編+後編)
以上、『SFプロトタイピング』について、前後編で解説してまいりました。
前編と後編をあわせた内容をまとめます。
- 『SFプロトタイピング』における『プロトタイプ』=『試作品』とは『未来』のこと
- 『未来』を試作するためにSF作品(小説、漫画、イラスト etc.)を創作する
- SFに頼る理由はSFの発想力や想像力で「想定外」の未来像を描き出せるから
SFという創作(あるいは虚構)が、ビジネスという現実を牽引する。その構図がすでにSF的で、私は『SFプロトタイピング』にすっかり魅了されています。
将来的にはSFプロトタイピングに関連した短編小説を実作してみたい、と思っているのですが、それはまだ先のことになりそうです。
今回はここまでです。